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『不許飲酒の碑』

――たまたま月曜日の午後、時間が空いたので、
京のJRバスに乗って、栂尾の高山寺を再訪することが出来た。

色づきはじめた、高雄神護寺の紅葉を眺め、清滝川に沿って歩いてゆく。
都心から僅かの時間で一変する、周山街道の山峡の空気を喜びつつ、
美しい日本の風景に浸っていた。


そしてすでに日暮れ近い石水院で、鳥獣戯画や、
善財童子や伝運慶作明恵上人遺愛の可愛い犬の彫刻を眺めたりして、
ただぼんやりと遊んでいた。


■高山寺のパンフレットによれば、
1986年アッシジの聖フランシスコ教会と高山寺がパウロ二世の祝福を受け、
ブラザーチャーチの約束を取り交わしたとある。
ロッセリーニの傑作にある「神の道化師フランチェスコ」も、
明恵上人と同時代人だったのだ。

ヨーロッパでは十字軍の傭兵からテンプル騎士団が結成されるいっぽうで、
ユダヤ人の追放も始まり、歴史は今日の金融ネットワークへと脈々と繋がってゆく。
その頃、イタリアではフランチェスコ派が生れた。
日本では、壇ノ浦で平氏が滅び鎌倉時代が始まる。

――リスや小鳥に囲まれた明恵上人の「樹上坐禅像」とともに、
ジョットの「小鳥に説法」する聖フランチェスコの絵画に、
両聖人の慈悲のこころが象徴されている。



高山寺は、また日本のお茶の発祥地としても知られている。
中国からお茶を伝えた栄西(ようさい)禅師から、
明恵上人にお茶の種が贈られ、
お茶はここから宇治へ移植されたのだと言う。
いまでも、日本最古の茶園が残っている。

その遺香を伝える「遺香庵茶室」のそばに、
『不許飲酒』の石碑を見つけて、
おもわず、立止ってしまった。

うーん。イケマセンか・・・。

お茶はいいけど、お酒はダメ。




   ――或る時、上人久しく冷病に侵されて不食し給ひける比、
   医博士和気の某、訪ひ申さん為に参りたりけるが申しけるは、
   此の御労はひえの故也、山中霧深く、寒風烈しき間、
   美酒を毎朝あたためて少しづつ服せしめ給はば宜しかるべき由申しければ、
  
   上人仰せに云はく、
   「法師は私の身にあらず。一切衆生の為の器也。
   仏、殊に難処に入りて誠め給ふも此の故也。
    ・・・・(中略)
   三宝の擁護により病愈え、命延ぶべし。
   さあるまじきに於いては、仏の堅く誠め給ふ
   飲酒戎をば犯すべからず。
    ・・・・(中略)
   予若し薬の為に一滴をも服せば、
   何事がな、かこつけせんと恩ひげなる法師共、
   故御房も時々酒は吸ひ給ひしなんど云ひ、
   ためし引き出して、此の山中さながら酒の道場となるべし。
   仍りて斟酌無きに非ず」
   と云々。

     (栂尾明恵上人伝記 巻下より)


――あっちゃーー。
キビシイ話であります。
しかし、何か救われる話は無いのでしょうか・・・。


   人は
   阿留辺幾夜宇和(アルベキヨウワ)
   と云ふ七文字を持つべきなり。
   僧は僧のあるべき様、
   俗は俗のあるべき様なり。
   
     (栂尾明恵上人遺訓)

――はい、わかりました。明恵上人。
なんだか、ほっといたしました。

それではこれから山を降りて、
BARでシングルモルトでも飲みにゆきます。
急に街の灯が恋しくなってきたのであります。

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