ヴェネツィアの朝は、海からの霧に覆われていた。
ヴェネツィア大学へ通う学生の流から離れて、
ひと気のない路地を道なりに歩くと広場へ出た。
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ちょうど警察だか、軍隊だか知らないが、警備の人がいたので、
――GHETTO NUOVOは何処ですか。と訊ねると、
――ここがGHETTO NUOVOの広場です。
――正面の建物がユダヤ博物館ですが開館は10時からです。
と教えてくれた。
いつの間にか、ゲットの中へ迷い込んでいたのだ。
いまでもこうして、広場を警備している。
そして警備の詰所脇の塀が目に入ると、
すべては瞬時に「場所」を納得できるのであった。
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――「ゲットー」とは何か。
1516年ヴェネツィア共和国は、ユダヤ人たちの住居を一箇所に封じ込めた。
この辺りはそれ以前、大砲の鋳造所の場所であったところから、
イタリア語の鉄の鋳造=ジェット或はゲットと呼ばれたのだ。
それ以降西欧近代のユダヤ人ゲットーの悲劇は語るまでもないが、
広場のレリーフは記憶を風化させないという意思表示なのだ。
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広場の片隅の、穴ぐらのようなトンネルの先が、外界への橋なのである。
それは近年の映画『ヴェニスの商人』でも描かれていた。
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しかし、何故「ゲットー」なのか。
追放されたユダヤ人の往く所、往く国が、
常に世界の覇権を握って来た事は歴史が語っている。
そうしてユダヤ教は、富を支配するものの支えとなるが、
富の支配とは、常にそのシェアもまた重要な要素なわけで、
その特性の背景には、つねに悲劇が伴う。
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そこに人間が集団で社会を形成する事の根源に横たわる、
「理性」=「合理」と、「愛」との、葛藤がある。
富の為に画策する志向とは、
特性ある自閉症的な遺伝子の為せるものなのであろうか。
人と人・家族・住みなれた町・愛する郷土。
思い通りの「富」の追求には、そういう立ち位置をも捨てて、
新たなモノサシを片手に、新たな「場」を求めて彷徨う。
世界を被い尽くす「ユダヤ」的特性とはいったい何なのであろうか。
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・・・「ゲットヌーボ」はそんな事を考えさせられる、場所でもあるのだ。
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――ところで、ヴェネツィアの画材屋さんの店先で、
古地図の複製を購入したので、
その一部分から、「ゲットヌーボ」の場所を探した。
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これは、
ヤーコポ・デ・バルバリ(Jacopo de' Barbari, 1440-1516)の描いた、
有名な《ヴェネツィア鳥瞰図》である。
3年がかりで描かれたという地図版画は、
1500年には版元が版権を持っていたといわれている。
航空機も無い時代に、塔の眺めから描いたのであろうが、
しかし、拡大してみると実に精巧に描かれている事に驚く。
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そして、「ゲットヌーボ」の場所を拡大すると、
その朝に渡った橋もふたつ、ちゃんと描かれているのであった。
だとしたら、先に記した1516年よりはるか以前から、
「ゲットヌーボ」となった「場所」は、存在していたのだ。
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■世捨て人のイタリア散歩 |