www.yosutebito.com

グイード・モナコのド・レ・ミの考案


アレッツオの駅前通を少し歩いた広場に、立派な石像が建っていた。

Guido Monaco 1882建立。
通りも「グイード・モナコ通り」、広場も「グイード・モナコ広場」。

グイード・モナコは、「ド・レ・ミ」の音階表記を初めて考案した人なのであった。


・・・あれっ、それは確か、グイード・ダレッツォとかいった人だと、本で読んだ記憶がある。

グイード・ダレッツォ (Guido d'Arezzo 991?〜1050)。
ダレッツォは、アレッツォのグイードという呼び名で、
本名はモナコという事はすぐに判った。


そうだったのか。
この街で暮らしていたのか。知らなかったな・・・。

グイード・モナコ=ダレッツォについて読んだ「本」。
それは、




 『数量化革命』

  ――ヨーロッパ覇権をもたらした世界観の誕生――
    アルフレッド・W・クロスビー著/小沢千重子訳(2003年/紀伊國屋書店刊)。

当時、音には「音階」(C-D-E-F-G-A-B)のある事は
「ピタゴラス音律」以来認識されていたのだろうが、
記憶を頼りに聖歌は演奏されていた。
しかし既に夥しい数の聖歌は作られ、

記憶しなくてはならない聖歌は膨大なものとなっていた。
記憶しなくては、聖歌は失われてしまう。


そこで、やがて「ネウマ記譜法」(ネウマとはギリシャ語の「息」に由来)という方法で、
音のうねりやアクセントや高低・「息」を表わす符号を歌詞の上に付け加えていたのだ。

  日本でいえば、これは中世からの、お経や謡曲の台本に記された、
  ツヨ吟・ヨワ吟・上音・中音とかクリ・サシ・クセとかゴマ譜と同じだろう。
  お経や謡曲は、だからいまでも「口伝」なので、
  その解釈をめぐって、「宗派」や「流儀」が分かれたのだ。
   (・・・こんな事は、この本には書かれていないからね。)

しかし、キリスト教は多神教ではない。
一神教ゆえに聖歌も正しく歌わなくてはならない。

これは聖歌隊にとって大変な苦しみだった。
そんな中、聖歌隊の指導者だったグイードは、
「聖ヨハネ賛歌」の『貴方の僕たちが』と題する賛歌の、六つの詩句の、
冒頭の音節と、順に上がってゆく音の高さが、一致することに着目した

    Ut queant laxis
    Resonare fibris
    Mira gestorum
    Fa
mili tuorum
    Solve Polluti
    Labii reatum
    Sancte ohannes

        (貴方の僕たちが貴方の行いのすばらしさを
         自由に讃えて唄うことが出来るように
         よごれた唇から          
         すべての罪の汚れを取り除いてください)=戸口幸策・他訳。

こうして、各節の歌詞の頭文字から、
Ut - Re - Mi - Fa - Sol - La
(ウト、レ、ミ、ファ、ソ、ラ)
という最初の6つの音名が発明されて、
さらに後に、最後の「S」と「I」を「si」として加えられた。

これが「七音階」=ド・レ・ミの始まりなのだ。

今なら、ド・レ・ミ、とひとことで片付けるが、
譜表の考案は、
人の記憶の蓄積から、データの蓄積へと転換を促す、画期的なことなのであった。

こうして旋律の上では、保守的な伝統の単旋律から、
自由にメロディーが跳ねまわる、複数の旋律。
すなわち、「多声音楽」(ポリフォニー)が誕生する。
そしてポリフォニーは、リズムという、「時間を計量する尺度」を提供した。

ゆえに、「音楽」は当時、、
「算術」「幾何学」「天文学」と並んで重要な学問であった。
それは、「ものごとを数量的に把握し、
現実世界を数学的に考察する姿勢を一般にひろめ・・・(中略)
数量化と実践を結びつける「音楽」の特性の中に、
総合的かつ学問的な意義が存在した。」(197〜198P)からだという。

さらに、音の休止から、ロンガ等の音符の表わす音価は、
人間の身体や経験に基づいて定められたそれまでの単位、
インチ・フット・ヤード等から、
論理に基づく抽象的単位、メートル法の原型となり、
また音のコントロールは、絶対的な時間の概念を出現させた。

こうしたことがきっかけとなって、
天文学・遠近法・地図製作等、
数量化を伴う様々な分野が急速に発展してゆくのだ。

  概して言えば、
  ある社会が現実世界をどのように認識していたかを分析するには、
  その社会の時間認識を調べるのに優る方法はないだろう。(211P)

     以上『数量化革命』第2部/第8章「音楽」参照。

・・・コロンブスが新大陸を発見しなければ、
ほかの誰かが発見しただろうに。
・・・グイード・モナコが、ド・レ・ミの考案をしなければ、
きっと、ほかの誰かが発見しただろうに。

とも思うのだが、それにしても、ド・レ・ミの「発見」はスゴイ切っ掛けとなったのだ。
と帰ってきて、本を再読しながら、さらに感心してしまった。

きわめて多岐にわたる著名人を多数輩出したアレッツォの街は、
――やはり、何処かが違う。

わずか10分たらずで歩けてしまう旧市街の街角は、
いまもその空気を漂わせているようなのだ。


■アレッツォ散歩へ戻る 
■世捨て人のイタリア散歩
Copyright c 2001-2012 Nakayama. All rights reserved.