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10年遅れの中高年映画オタク 【1】

 ■1 ジョン・フォード監督 「真珠湾攻撃」DECEMBER 7TH〈完全復元長編版〉を観る。

 ■2 「雷蔵」映画を観て改めて失われたものの多さに気付く。60年代の日本映画は「世界遺産」だ。

 ■3 ドキュメンタリー映画『オランダの光』/
        視線と光が「美」へ昇華するフェルメールの世界『真珠の耳飾りの少女』

 ■4 暮しの片隅に置き忘れた、大切なことを、気付かせてくれる。
           小泉尭史監督作品「雨あがる」「阿弥陀堂だより」「博士の愛した数式」

 ■5 エットーレ・スコラ監督 「BAR(バール)に灯ともる頃」

 ■6 フレディ・M・ムーラー監督 「僕のピアノコンチェルト」

 ■7 ロバート・アルトマンさんどうもありがとう。

 ■8 さらばレーザーディスク

 ■9 「かもめ食堂」と「めがね」

 ■10 「剱岳」点の記  

  10年遅れの中高年映画オタク 【2】へつづく
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●ジョン・フォード監督「真珠湾攻撃」DECEMBER 7TH〈完全復元長編版〉を観る。

「DECEMBER 7TH」

これは米陸海軍がプロパガンダとして20世紀フォックスに委託したドラマ仕立のドキュメント。
撮影班は1941年12月7日真珠湾攻撃の6日後に現地入りした。
ジョン・フォード監督が「怒りの葡萄」でコンビを組んだカメラマン、グレッグ・トーランドとの共同作品。

「前半のドラマ部分は戦争への準備の不足と、敵国人となるハワイ日系市民の日本への貢献を詳しく描き、
日本に対する罵りのないことが軍部の怒りを買い、後半34分の戦闘場面のみが公開された。
そして長編の全容は1995年12月26日に東京の三百人劇場で世界初公開されたのである。」
【解説:日野康一氏(IVC発売DVD)より。】

「・・・あれはグレッグ・トーランドが監督した。私は手伝っただけさ。
現地には行ったが、全部グレックにまかせきりだった。=ジョン・フォードは語る」
【リンゼイ・アンダースン「ジョン・フォードを読む」高橋千尋訳235頁(フィルムアート社刊)より。】

フォードの語る「あれ」とは一部だけ公開された戦闘シーンを云うのであろう。
しかし、 パックスアメリカーナの閉塞情況が着実に世界を蔽う現在、
時空を越えて、問い掛けて来る長編版の「作品」の力は、今日では稀な、新鮮な感動を与える。

その問い掛けとは、
プロパガンダとして、ドラマ部分が軍部にカットされ没収された事でも
短編として「アカデミー賞」を受賞した事でもなく。
また、当時の日本人の描写がヘンだとか、
何処の部分が実写で、何処の部分が作り物かとか云った裏話でもない。

健忘症のわれわれが、このフィルムをとおして出会うおどろきは、
戦争の渦中にあっても、
「ひと」は自らの判断に委ねる領域を持ちえるという、ごくアタリマエの感動だ。
カットされ、没収される事になろうとも、自らの思うところを表現しようとする理性の力である。

「真珠湾奇襲攻撃」に始まる太平洋戦争は、当然情報戦争でもあった。
ハワイ在住の15万同朋は不安の中で、多くの諜報活動を展開した事と想像する。

「奇襲」とは何か・・・。
ひとつの意思決定の正当化のために、以後日本列島島民は泥沼の犠牲を受け入れる。
さらにその犠牲の神格化によって、沈黙する。
真珠湾の「奇襲」のあと、軍部は情報を遮断して
自国島民を情報操作することに精一杯であった。
こうした島国ゆえの「掟」は、
今日でも、さして変わる事無く、メディアをとおして機能している。
おカミの言う事だから正しい。・・・ニッポンはそういう「神話」の国だ。

いっぽう、人種差別で培われたアメリカの繁栄。
銃(武力)に支えられたアメリカの自由と民主主義。
封印された60年の時の狭間で、戦勝国アメリカの混迷さえも浮かび上がるフイルムだ。
(2003年9月)

「雷蔵」映画を観て改めて失われたものの多さに気付く。
60年代の日本映画は「世界遺産」だ。




雷蔵ファンの方から市川雷蔵のビデオ100本をお借りした。
貸す方も貸す方だが、借りる方も借りる方である。
何が言いたいのか。ファンの心理はかように度を越している。

雷蔵さんはその短い映画人生の間に155本の作品に出演している。
15年間ほぼ毎月一本の新作を世に送り出した。
今月は「眠狂四郎」役。次月は「忍びの者」。次は「陸軍中野学校」。今度は「若親分」。
又次は「狂四郎」と、シリーズ物をこなす合間に、
多くの文芸作品にも取組み、休む暇はない。
まったく「相手変れど人変らず」で、これでは身が持たない・・・という感じで病に倒れた。

・・・女(藤村志保)に抹茶を進められていた狂四郎の表情が突然強張る。
「足でも痺れたか」と思う瞬間、アップになった茶碗に刀が突き刺さる。
「おぬし・・・」《眠狂四郎勝負》

・・・のどかな田圃道のロングショットを狂四郎が遠く歩いて来る。
手前から現われる女(中村玉緒)がすれ違いざまにばさりと倒れこむ。
《眠狂四郎炎情剣》そして《眠狂四郎無頼剣》。又は《剣》のシリーズ。

三隅研次監督・市川雷蔵主演の映画は、
いまでは失われてしまった「美」の狭間にあって、鮮烈な驚きに満ちている。
言わずに語る「セリフ」と「情景」との束の間の「調和」と「破綻」。
何事も起こりえないと思える光景の中で、出来事は不意打ちに似て起こるのであった。

当時日本映画は、毎週のように封切りのプログラムピクチャーだ。
それ故か、雷蔵作品はほとんど「賞」とか「ベスト10」とかには無縁であった。
いま振り返って同時代に持て囃された作品が、
いかに社会の問題意識に苛まれていて色褪せているかが判る。

その背景には「眠狂四郎」などの『時代物』や『伝統芸術』は
《趣味道楽の世界》へ遠ざけた、この国の偏頗な近代化があった。
そうして、いま改めて思うのである。
「なんという贅沢」「なんという絢爛豪華」「なんという美しい風景の陰影」。
永い歳月をかけて培ってきたこの国の文化の造形が、
惜しげもなくフレームに刻印されたこれらの作品は、
日本文化の最後の輝きにも似て、今日一層の光彩を放つ。

役者とそれを支える職人スタッフ。そしてカメラマン。
「大映」撮影所の見事な美意識を、一瞬のうちに切り取った三隅研次監督の作品は、
まさにチームワークの極みである。

60年代前半、日本映画は全盛期を迎え活性化していた。
しかし過度の活性化は退廃への道でもある。
雷蔵のあっけない生涯も、後を追うように行き詰まった「大映映画」も、
今にして思えばその幕切れは、寧ろ退廃を逃れるような見事さでさえある。

(2003年11月)


ドキュメンタリー映画『オランダの光』
視線と光が「美」へ昇華するフェルメールの世界『真珠の耳飾りの少女』


たまたま出遭ったアントネッロ・ダ・メッシーナ(1422〜1474)の絵画について調べていると、
アントネッロは15世紀初頭、オランダのヤン・ファン・アイクの影響を受け、
イタリア絵画に初めて「油彩」の技法を伝えたとあった。
時代はルネッサンスを迎え、やがてイタリア絵画は「ヴェネチア派」の黄金時代を迎える。

《オランダ》と《ヴェネチア》に共通する「環境」。
それは土地のない干拓地だ。
15世紀から17世紀にかけて、二つの国はヨオロッパの文化を先導する。
例えばヴィヴァルディのバロック音楽は、
波間に反射する「光」の光景を垣間見た時、瞬時に納得される。
・・・そんな思いに駆られているときに、オランダの「光」に関するDVDが相次いで発売された。

長編ドキュメンタリー映画「オランダの光 Dutch Light」(監督ピーター=リム・デ・クローン)。

フェルメールやレンブラントなどの17世紀オランダ絵画の巨匠が遺した傑作の源泉には、
独特の陰影をもつ「光」があると言われてきた。
しかし現代美術家ヨーゼフ・ボイスは、20世紀前半の開拓が地形に変化を及ぼし、
「オランダの光」は失われてしまったと指摘する。
果たして「オランダの光」は、本当に失われてしまったのだろうか?
そして「オランダの光」とは、本当に実在するのだろうか?
・・・かくて「光」を追い求めて、想像を超えるオデッセイが始まった─-。
「光」を巡る映像に導かれて、我々は「見る」という行為の原点に立ち帰る。

あふれる情報の海に取り巻かれた今日の日常は、
一方で「見る事」の本質からいかに遠ざかっている事だろうか。
これは「光」を巡って「見る事」の根源へ立ち返らせてくれる傑作ドキュメントである。
「オランダの光はいつも同じで、いつも違う・・・。」


「真珠の耳飾りの少女」(監督ピーター・ウエーバー)は、
全篇フェルメール絵画の光と影の世界を再現した静謐な映像に圧倒される。

オランダの天才画家フェルメールの家に使用人としてやってきた少女グリート
(主演スカーレット・ヨハンソン)
の繊細な色彩感覚は、画家に新たな想像の活力を与える。
フェルメールの生きた17世紀のオランダの町デルフト。
町の様子や人々の暮らしが見事に再現されている。
そして主演のヨハンソンの「唇」の瑞々しさ・・・。
中年世代なら、ポランスキーの作品「テス」の、ナスターシャ・キンスキーを思い浮かべるはずだ。
(2005年8月)

暮しの片隅に置き忘れた、大切なことを、気付かせてくれる。
小泉尭史監督作品「雨あがる」「阿弥陀堂だより」「博士の愛した数式」


山本周五郎の短編を脚本化した黒澤明の遺稿「雨あがる」

こころを病んだ医師が夫の故郷の、ゆったりとした時の流れの中で、
村人と暮しながら、癒されてゆく「阿弥陀堂だより」

交通事故の後遺症により、記憶が80分しかもたない天才数学者と、
若い家政婦の交流を描いた「博士の愛した数式」

小泉尭史監督の作品は、美しい日本の四季の中で、懸命に暮す市井の人々が描かれている。

・・・私たちの日常を取巻く風土は、こんなに美しかったのか。
人々の心はこんなに優しさに満ちていたのか。

利便性や効率を追い求めて、顔の見えないコトバが泡沫のように氾濫する、
情報依存の酩酊状態の中で、
ひとはこころの居場所を失念してしまったのだろうか。

暮しの中で周知の事が、「知っているつもり」でいたことが、
実は何も分ってはいなかったのではないか。
そんな思いに、ふと襲われる。

そして、そう思う束の間。
見馴れた山や川、森や畑。暮しを取巻く周囲の人々。
身の回りのありふれた光景が、人も風景も、美しく輝き出すのであった。
(2006年8月)

「BAR(バール)に灯ともる頃」

「BARに灯ともる頃」(エットーレ・スコーラ監督1989)はわたしの好きな映画。
今は亡き、マルチェロ・マストロヤンニとマッシモ・トロイージ共演の
「父と息子の不思議な関係」のキラリと耀く小品。

・・・イタリアの小さな港町、チヴィタヴェッキアで兵役につくミケーレを訪ねて、
ローマから父がやって来る。
暮らし向きの豊かな父の奨める仕事を拒んで、
息子のミケーレはひなびた田舎町に留まろうとする・・・。
1968年以前と以降。
イタリアにも、親と子の考え方に世代間のおおきな断絶があるのだ。
温もりの感じられる場末の「ピエトロのBAR」。
ミケーレはここの常連達の人気者だったのだ・・・。

■BAR(バール)とえいば、
イタリアでの楽しみは、朝のバールめぐり。
とくに地方都市では、
朝のホテルを飛び出て、旧市街のバールを、
何軒もハシゴするとじつに楽しい。

――カッフェ・ラッテ。
――カッフェ・マッキアート。(マッキアート=染み=ミルクを入れる)
――マッキアート・カルド。(カルド=温めた)
――ラッテ・マッキアート。(ミルクが主)
――ラッテ。

「コーヒー」に「ミルク」を注ぐから「カフェ・ラッテ」
「ミルク」に「コーヒー」を注ぐから「ラッテ・マッキアート」
卵が先か、ニワトリが先か、どっちでも好さそうなものだけれど、
これがまったく違うのだ。
そして、店ごとに、それぞれの作法があるから、また違う。
お店の数だけ、「カッフェ・マッキアート」はある。
BARバールの迷宮は際限がない・・・。
――今朝は、あそこの角の、あのバールが当たり。
なんて、冒険を始めたら、その街も去りがたくなるのがイタリアなのだ。

・・・はなしが横道に逸れてしまったな。

(2008年4月)

「僕のピアノコンチェルト」


原題「VITUS」 監督フレディ・M・ムーラー 撮影ピオ・コラッディ 音楽マリオ・ベレッタ

  ■驚異的なほどに高い知能指数を持ち、ピアノの才能も天才的。
   “こうなったらいいのに”と思い描く夢をすべて叶える能力を持つヴィトス少年。
   しかし、頭脳は天才でも心は少年のままの彼は、うまくその溝を埋める事ができない・・・。
     (DVDジャケットより)

――「こうなったらいいのに・・・」という思いを、
練習問題を解くように実現してゆくヴィトス少年。だから「天才」なんだね。
こんな事って、ありえないというストーリーも、
天才ヴィトス少年本人が演じているから、説得力がある。

ヴィトス少年のホームヘルパーとなる初恋の少女に、
「山の焚火」の姉ベッリの面影を見つけたり、
CDを聞いて、すぐにロシア音楽の特徴を語るヴィトス少年にニヤニヤしたり、
いくつもの言語がブレンドされた日常会話に、
「音楽」のために、という言葉をさりげなく共有できる社会に、
スイスという国の存在感を再認識したりした。

6歳のヴィトス君の清んだ眼差しの先に、
「子どもの願いをかなえるために親と社会は存在する。」という
ムーラー監督のメッセージが伝わってくる・・・。

・・・フレディ・ムーラー監督の「山の焚火」を観てから、20年が過ぎた。
その間、心の何処かで、ムーラー監督の新作が気になっていたが、
監督自身、しばらく映画制作からは遠ざかっていたことも知った。
だから、「僕のピアノコンチェルト」には、
懐かしい恩師と久しぶりに再会するような、わくわく感があった。
そんな思いもあってか、視覚に訴えるそのシーン毎に、
記憶を甦らせる様に、「あっ、ムーラーだ」と
再確認しながら、すぐれた映像に酔った。
「僕のピアノコンチェルト」は期待に違わず、
長い沈黙で熟成された、モルトウイスキーのような素敵な味わいであった。

   ■人生はソロではなく、
    様々な音と響きあいながら奏でる
    コンチェルトのようなもの・・・(DVDジャケットより)
(2008年5月)

ロバート・アルトマンさんどうもありがとう。

ロバート・アルトマンの訃報から1年過ぎて、
DVDで「今宵、フィッツジェラルド劇場で」を観る事が出来た。
まだワカモンだった頃、「M★A★S★H」「ビッグ・アメリカン」を観て以来、
アルトマン映画の魅力は、いま思い返せば、
つねにある種の「謎」が含まれているということだろうか。

「謎」=不可知=ゆえにその作品は、つねに「失敗」と見紛う魅力を秘めている。
その「謎」も、とうとう完結してしまった。
だから、遺作「今宵、フィッツジェラルド劇場で」を鑑賞することは、
「アルトマンさん、ほんとうにお世話になりました」
という、ある感慨を込めて、映像を仰ぎ見ることになるのであった。
遺作「今宵、フィッツジェラルド劇場で」は、
そんなひとびとが抱く思いも、先刻お見通しというように、
「慈愛」に満ちた、アルトマンの世界なのであった。

ここで、個人的に鑑賞した、
ロバート・アルトマンの作品を並べてみます。

■ポパイ Popeye (1980)
■今宵、フィッツジェラルド劇場で A Prairie Home Companion (2006)
■ゴスフォード・パーク Gosford Park (2001)
■ウエディング A Wedding (1978)
■ギャンブラー McCabe & Mrs. Miller (1971)

■ロング・グッドバイ The Long Goodbye (1973)
■ナッシュビル Nashville (1975)
■ショート・カッツ Short Cuts (1994)
■ボウイ&キーチThieves Like Us (1974)
■ニューヨーカーの青い鳥 Beyond Therapy (1986)

■宇宙大征服Countdown(1968)
■雨に濡れた歩道 That Cold Day in The Park (1969)
■M★A★S★H マッシュ MASH (1970)
■ビッグ・アメリカン Buffalo Bill and the Indians, or Sitting Bull's History Lesson (1976)

■ストリーマーズ/若き兵士たちの物語 Streamers (1983)
■ゴッホ Vincent & Theo (1990)
■ザ・プレイヤー The Player (1992)
■プレタポルテ Pret a Porter (1994)
■カンザス・シティ Kansas City (1996)
■バレエ・カンパニー The Company (2003)
・・・。



たとえば、マイベストの「POPEYE」である。
・・・ドシャ降りの海をボートに乗って、セーラーマン「ポパイ」がやって来る。
着いたイカレタ重税の島が「スゥイートヘブン」なのだ。
ドタバタのあげくに、スゥィーピーが誘拐されてしまうという、
まったくもって陰惨な嬰児誘拐ストーリーなのであるが、・・・

映画「ポパイ」は、いまの世の中を予見している。
こんにちに至る、擬制としての社会が、アルトマンにはすでにとっくに見えていたのだろう。
ゆえに、この作品は、リアルをはぐらかすように、まったくのデタラメを装っている。
めちゃくちゃの限りを尽くして、これはマンガなのですよと思わせたかと思えば、
歌がはじまり、いや、ミュージカルなのですよとはぐらかす。
しかも、その歌は、ことごとく調子ハズレで音程を外し、いったいこれは何ナノだ。
と多くの大衆がマユを潜めるような、
全く、ろくでもないドタバタ劇に偽装された、あきれる傑作なのだ。

その証拠といってはなんだが、
アルトマンは当然の如く、業界から長いあいだ、忌避されることになる・・・。

「アルトマンさん。ほんとうにどうもありがとう」
(2008年7月)

さらばレーザーディスク



――パイオニアは14日、
レーザーディスク(LD)プレイヤーの生産・販売を終えると発表した。
(1/15朝日新聞)

・・・分かっちゃいるけど、寂しい話だ。
1970年代半ば、映画はビデオでも観れるようになった。
そして1980年代は「レーザーディスク」。
その頃は、「映画が買えるなんて」・・・夢のようであった。
それで興奮して、重い高価なソフトを何百枚も買ったものだ。
1990年代の終わり頃からはDVDに進化したが、
それも10年で、いまは次世代のBDに変わろうとしている。

技術の進歩のスピードは、
人の暮らしのテンポをはるかに越えてしまっている。
だからDVDからBlu-rayにすんなり移行するのかというと、
これまでのようにはならないであろう。

もういい加減、どうでもいいや。
というよりも、ソフトが立ち行かなくなる事は目に見えている。

・・・デジカメも、PCも、こうしてとても便利で重宝だけれど、
トレンドがコロコロと変わる訳で、
記録媒体と考えると、どうもこうも、怪しいものだ。

そんな訳で、LDの名作映画コレクションには、
とてもお世話になりました。

写真は、わたしが偏愛する映画作品の一部分。
映画の世紀=20世紀を代表する傑作たちだ。
さらばじゃ・・・、レーザーディスク。

アルフレッド・ヒッチコック「海外特派員」
ジョン・フォード「太陽は光り輝く」
ハワード・ホークス「ヒズ・ガール・フライデー」
ロベルト・ロッセリーニ「イタリア旅行」
フリッツ・ラング「死刑執行人もまた死す」
ジャン・ルノワール「ゲームの規則」
ルキノ・ビスコンティ「ベニスに死す」
アンドレイ・タルコフスキー「ノスタルジア」
ジャン・ヴィゴ「アタラント号」
ロバート・フラハティ「アラン」
エルンスト・ルビッチ「生きるべきか死ぬべきか」
スタンリー・キューブリック「現金に身体を張れ」
ドン・シーゲル「ボディ・スナッチャー/恐怖の街」
エリック・ロメール「緑の光線」
ビクトル・エリセ「ミツバチのささやき」
ベルナルド・ベルトリッチ「1900年」
ダニエル・シュミット「ラ・パロマ」
ジョン・ヒューストン「ザ・デッド」
ジョン・カサヴェテス「こわれゆく女」
ジャン=リュック・ゴダール「勝手にしやがれ」
テオ・アンゲロプロス「旅芸人の記録」
ロベール・ブレッソン「ラルジャン」
森一生「薄桜記」
山中貞雄「丹下左膳余話・百万両の壺」

・・・・・・・・・・・・・・・
(2009年1月)

荻上直子監督『かもめ食堂』と『めがね』


『かもめ食堂』

「かもめ食堂」はフィンランドのヘルシンキにあります。
主人のサチエさんは、レストランではなくて食堂にこだわります。
それで、メインメニューはウメ・シャケ・オカカのおにぎりです。
おにぎりはニホン人のソール・フードだからです。

アキ・カウリスマキの映画で見覚えのある、
透明感ある白夜の街角に、とつぜんあらわれた小さな「かもめ食堂」。
さっぱりと小奇麗なイスとテーブルが並びますが、
お客様もさっぱり来ないのです。

やがてひょんなことから、チキュウはひとつオーガッチャマンと、
「ガッチャマン」の歌詞をすべて覚えているミドリさんと会い、
ミドリさんも食堂のお手伝いを始めます。

  ――毎日まじめにやっていれば、そのうちお客様がやって来ますよ。
  ――それでもダメならその時はその時、やめちゃいます。
  ――ガッチャマンの歌詞を全て覚えている人に悪い人はいないですよ。
  ――世の中って、知っているようで知らない事ってけっこう多いのですよね。

また、旅行鞄が届かず足止めされたマサコさんも食堂に迷い込んできます。

  ――いいわね。やりたいことをやれて。
  ――やりたくないことは、やらないだけです。

  ――いらっしゃい。 ――コンニチワ。
  ――ハイどうぞ。 ――ありがとう。 ――どういたしまして。
  ――コンニチワ。 ――いらっしゃい。 ――おかえりなさい。 

こうして「かもめ食堂」は、じょじょに地元のお客さんに受け容れられてゆきます。

Ruokala Lokki かもめ食堂のメニュー】 
おにぎり(梅・鮭・おかか)  鮭網焼き  豚の生姜焼き
とんかつ  肉じゃが  鶏の唐揚げ  卵焼き 
トマトサラダ  コーヒー  シナモンロール
・・・・。

■なんと洗練された、メニュウなのでしょうか。

  ――でも、ひとはずっと同じではいれないものです。
  ――人はみな、変わってゆくものですから。
  ――いい感じで、変わってゆくといいですね・・・。

■サチエさんも、ミドリさんも、マサコさんも、
びみょうなバランス感覚というか、ひとはみなスタイルを持っている。
まるで波間に浮かぶカモメのように、
身の丈ほどの軽やかさで振舞おうとする、
その空気感が、「かもめ食堂」には漂っていて心地よい。

■そして、ふと気付くのだ。
「寛容」って、自分のスタイルがあってはじめて出来るのだね。
逆に、自分のスタイルが出来ていなかったら、
というか、自分を見失うと、人も受け容れられ無くなるのかな・・・。
 ――なあんて、たったいま思いついた、こじつけですけどね。
     ・・・これ映画のセリフ。



『かもめ食堂』 

監督・脚本 荻上直子 
出演 小林聡美 片桐はいり もたいまさこ 2006年作品 


『めがね』

暮れなずむの、なずむを「泥む」と書くのは、
これは昔の田圃は深く水に浸かるから、
難儀したことに由来するという事を読んだことがある。

それで、農耕民族の習い性で、
スリ足や足踏み(ヘンバイ)が、「舞い」や「踊り」となって、伝統芸能に昇華する。
(武智鉄二「伝統と断絶」)
日本人は、歩き方にもその特徴が染み付いていて、
その一例が「ナンバ歩き」だろう。

海外の空港などで、遠くから来る一団が日本人なら、
歩き方に特徴があるから容易にわかる。

また夕暮れ時は、暗くて誰か彼かも見分けがつかなくなるから、
「たそ かれ」が「たそがれ」になったと言うことだ。
いずれにしても、「闇」が世界を覆うときは、
魑魅魍魎の跋扈する時でもあるという恐れがコトバの背景にはある。

・・・そういう染み付いている、立ち居振る舞いはともかく、
とらわれなく、固定概念とかの「めがね」をとおしてではなく、
いまを在るがままに、生きている事の瞬間を、
実感してみたらどうなのよ。と思う映画が、『めがね』なのだ。
故に登場人物は一様にメガネをかけている。

その「瞬間」「瞬間」を実感することを、
「たそがれる」とでも呼ぼうと言うのだ。

――おはようございます。
――きょうもいい天気です。

「ばしょ」「じかん」「ふうけい」それぞれに、
それぞれの「ひと」の実感がなければ、「たそがれる」こと自体が、
「概念」のうちに溶解してしまう。
だから南の島で、朝ごはんに、なんで「塩鮭」や「梅干」なのかよ。
という観る者の「概念」さえも挑発する、
「たそがれる」ことへのしかけがほどこされているのだ。
それは「かき氷」の刹那であり、「地図」さえも実感に添ってゆく、
いってみれば、「脱構築」へのアプローチなのであろう。

「何が自由か、知っている。」

スクリーンの向うの海と空を眺めながら、ばくぜんと思うのである。
・・・自分を何処かへ置き忘れたママになっているのだろうか。
・・・そもそも自分なんて在るのかよ。
・・・我思う故に我在りとかいうけれど、受売りじゃん。・・・ワレなんて在るのかよ・・・と、


『めがね』

監督・脚本 荻上直子 
出演 小林聡美・市川実日子・加瀬亮・石光研・もたいまさこ 2007年作品


剱岳 点の記



今夜は遅ればせながら、映画『剱岳 点の記』

――これは、明治40年《前人未踏の剱岳》へ
日本地図の空白地点を目指した男たちのドラマ。

新田次郎の『剱岳 点の記』を、
名キャメラマン木村大作自らが撮影/監督した。

――日本地図を完璧にするために、剱岳測量を命じられた、
陸軍測量部の柴崎(浅野忠信)は、
退任した先輩の古田(役所広司)の紹介で、
案内人の長次郎(香川照之=流石筋が違うぜ)と剱岳を目指す。
一方小島烏水(仲村トオル)ら、
若き「日本山岳会」のメンバーも、剱岳山頂を目指していた。

――キャメラマンだから、風景は美しくてアタリマエで、
それだけでは納得できないと言わんばかりに、
バロック音楽の名フレーズが、
画面にピッタリかぶさっている。
それは音楽も、監督自らが選曲したという何よりの証だ。

――過酷な山岳地帯の、
自然相手の丁寧なロケハンそのものが、
いつしか、
ドラマの中の、
ひたむきな測量隊そのものと重なり合って・・・、

――そしてクライマックス。
あのキューブリックの傑作『バリーリンドン』で流れた、
ヘンデルのサラバンドが、ごうごうと流れる。
監督自身、これ、やって見たいって、
30年間きっと思っていたんだろうな。

・・・そんな思いの伝わってくる大画面と向き合って、
勝手にそんな事を想像しながら、
『剱岳 点の記』は、ほんとうに完成してよかった。
そして、鑑賞できてよかった。
と観た人がみんな思って、大ヒットした。


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