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ブルネレスキの円蓋

・・・ルネッサンスを彩る、多彩な芸術家たちの歴史を読んでいたら、

■ダンテ(1265-1321) 
■ジョットー(1266-1377)
■ペトラルカ(1304-1374)
■ボッカチオ(1313-1375)の後、

■ブルネレスキ(1377-1446)
■ドナテッロ(1386-1466)
■フラ・アンジェリコ(1400-1455)
■ピエロ・デッラ・フランチェスカ(1420-1492)
■アントネッロ・ダ・メッシーナ(1430-1479)までの間に、

おおざっぱに100年のブランクの在る事に気付いた。
もちろんその間も、様々な人物が輩出されているのであろうが・・・。

フィレンツェの象徴、花の聖母大聖堂(サンタ・マリア・デル・フィオーレ)も、
土台の完成していた大聖堂の上に、ブルネレスキによる、
円蓋(クーポラ)を載せる難工事が1436までに完成するまで、
およそ100年の時間を必要としたのだ。
それは何故なのかという事は、すぐに解った。

農地拡大により、人口の急増したヨーロッパに、気候変動の冷害が襲う。
そういう時は、火山の噴火とか、洪水とかも重なる。
そして中国の大洪水は、大量の犠牲者を出した。
其処から発生した黒死病(ペスト)の菌が、ジェノバの貿易船に潜んだネズミによって、
ヨーロッパにもたらされたのだという。
突然に、為す術もなく、二日余りで、死に至るペストは、
1348年爆発的にヨーロッパの都市国家を襲い、致命的な打撃を与えたのだ。

ついでに言えば、ヨーロッパだけではない。
冷害で牧草が育たなければ、東ヨーロッパまで侵攻していたモンゴル帝国も、
突然のように、衰退していった。
日本では、鎌倉幕府の滅亡から群雄割拠の戦国時代だ。

――先日訪ねた、中世の街並がいまに残る、世界遺産の街、
シエナもサンジミニャーノも、
ペストの蔓延で、そのまま廃墟のような、ながい時を経てきたのだ。

いっぽうで、そのペストの薬でおおきな富を得たのが、
フィレンツェに台頭した、メディチ家だった。
メディチ家は、フィレンツェの復興にその莫大な富を投入する。
そして職人も死に絶え、技術も失われてしまった、
困難とされた円蓋の設計と難工事を為しえたのが、ブルネレスキなのであった・・・。

そういう、生の中に死も同居しているような、100年に亘る過酷な時を経たからこそ、
イタリアルネッサンスはいっきに開花するのだ。

■ブラマンテ(1444-1514)
■ボッティチェッリ(1445-1510)
■レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)
■ミケランジェロ(1475-1564)
■ラファエロ(1483-1520)

部屋じゅう天井の隅々まで全面、女性の裸体に取り囲まれた、
あまりにも享楽的で羨ましくも異常な、当時の貴族たちの暮らしへの想いも、
それで妙に納得がゆく。

■マキャヴェリ(1469-1527)
■エラスムス(1469-1536)
■コペルニクス(1473-1543)
■ルター(1483-1546)

■世捨て人のイタリア散歩
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