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肝臓占い

トスカーナ料理について、舌に記憶のあるうちに、
あれこれ調べたりしていると、この写真に辿り着いた。

写真は、ポー川流域の街、ピアチェンツァの博物館を訪ねた折に、
頂いた絵葉書の一枚。

紀元前2世紀の、ブロンズ製「Fegato aruspicale」。
=Musei Civici di Piacenza《Palazzo Farnese》

・・・なんやろね。さっぱりワカランと思ったまま、長いこと机の引き出しに埋もれていた。

そして、これこそが、肝臓でマツリゴトとかを占った、
羊の肝臓をあしらった、古代エトルリアの重要なアイテムと知ったのだ。

いまだ多くの謎に包まれている、海の民・古代エトルリア人は、
アルノ川流域や、ポー川流域に、多くの都市国家を形成していたという。
そして、中部イタリアの豊かな大地で、独特の文化を築いた。
きわめて宗教的な規範によるその文化は、
後のローマ文明の、そしてさらに後の、ルネッサンス芸術の開花にも、
その根もとに息づいているという。


   ――ギリシャやローマでは、
   宗教を超えた政治体制や支配構造を作ったが、
   エトルリアでは、宗教とそれに支配される人間から
   離れることなしに社会生活が動いていた。
   その非合理性がこの民族を、
   世界史の表舞台に押し出すことなく終わらせた理由でもあった。
     (中略)
    ――エトルリア人は、こうしてエネルギーに満ちたすぐれた文化を作り上げた。
   それは、人間を越えた真実と美を追求した理想主義的なギリシャ文化とも、
   整然とした国家と政体を作りあげた合理主義的なローマ人とも違う、
   あくまでも現実の生命の燃焼と死への憧憬だけをもとにして作られた、
   ユニークな文化なのである。
   私は、これらの遺物を見て、日本の古代、万葉の人々のことを思った。
             多田富雄著「エトルリアへの旅」 (P264・265より)


これは、先日他界された、多田富雄氏の、
「イタリアの旅から」(誠信書房1992)の引用ですが、
トスカーナの丘を越えてはじめて、風景の中に、見えないエトルリアの影を、
ようやく実感できたような気がしたのだ。

  《あくまでも現実の生命の燃焼と死への憧憬》
・・・そうか、アモーレ/マンジャーレ/カンターレの、イタリア気質の根にあるものが、
これだったのか。そして、

――トスカーナ料理は、なぜ内臓料理なのか。
――エミリア=ロマーニャの町々の食材は、なぜかくもウマイのか。

その大本を糺せば・・・、
そこには、紀元前からの、エトルリアの伝統が脈々と食の中にも生きているのだ。
そして、アルノ川流域のトスカーナと、ポー川流域のエミリア=ロマーニャと、
微妙に違う気候風土が、それぞれの食を枝分かれさせて進化させてきたのだ。

・・・ミラノへの帰り道、特急列車がアペニン山脈を越えると、
ポー川流域のエミリア=ロマーニャの街は深い霧に包まれていた。

この霧が、とんでもない、おいしい恵みをもたらすのだ。
車窓に拡がる田園風景を眺めながらあらためて実感していた。

■世捨て人のイタリア散歩
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