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塔からの眺め

ここはトスカーナのちいさな町サン・ジミニャーノ。
塔のある風景が印象的なので、訪ねてみたのだ。
そうして息切らせて、ロニョーザの塔といわれる一番高い塔(54m)へよじ登った。
おう、トスカーナの空の下で、町の様子がよく分かる。
しかし、何ゆえに競って、塔を建てたのであろうか・・・。


そもそも、トスカーナという地名は、
先住民エトルリア人、エトルスキがトスキと訛って、
そのトスキの住む地を、トスカーナと呼んだのだそうだ。

そして、そのエトルリア人のことをギリシャの古文書では、
「Teres」と記し、「Tyrsenoi」と呼んだそうだ。
ギリシャの言葉で、その意味は、「塔を立てる人」という意味があるという。

ついでに云えば、先住民族エトルリア人がやって来た海だから、
MAR TIRRENO 「ティレニア海」と呼ぶのだ。
そのティレニア海から、
ピサ辺りの浜辺から、アルノ川をさかのぼり、此処まで来たのだろう。

・・・そんな、以前調べたメモが出てきたのだけれど、
いろいろ、あちらこちら読み漁ったので、
それが何処に書いてあったのか、いま、まったく思い出せない。【※】

そんな訳で、紀元前の、ローマ帝国以前からの、
海の民・エトルリアの血筋とか伝統が、塔の背景には、込められているのだろう。


こうして、いまでは世界遺産の、
ここサン・ジミニャーノ歴史地区は、1300年代前半に繁栄して、
多くの富を築き、最盛期を迎え、競って「塔」を建てたのだという。
その繁栄の要因のひとつが、サフランの生産であったというから、
後の世の、オランダのチューリップバブルをも思い起こさせる。

・・・しかし、ご多分に漏れず、繁栄は覇権争いをもたらす。
さらに寒冷化とペストが、この狭い城砦の町を襲うのは1343年の事だ。
そうして、ルネッサンス様式以前の、中世の佇まいのままに、
サン・ジミニャーノの町は、時代からとり残されたのだ。


――こんなに狭い町なのに、ちゃんとサッカー場があるのはイタリアだな。
――あっ、足元の三角形の、広場のBARに灯りが燈った。
――階段をおりて、BAR(バール)へゆこう・・・。




【※】一晩寝たら思い出したので・・・、この項に関して、
■多田富雄著『イタリアの旅から』第11章エトルリアへの旅P262
■アモロソ・フィリッポ『トスカーナ料理のルーツを探る』筑波大学紀要第4集P73〜82を参照。

■世捨て人のイタリア散歩
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