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シエナの坂道

中世のカンポ広場とマンジャの塔で名高い、
シエナの町を訪ねた日は、曇り空の寒い日で、
足の疲れもあって、テンションがいまひとつ上がらない。

・・・やっと来る事が出来た。
しかし今回は、カンポ広場に立てただけでも感慨が深い。
また、来ればいいや・・・。着くと同時に、そんな諦めの気分で、
やはり旅は、体力勝負だと、つくづく感じてしまうのであった。

――丘の上の、城塞の町シエナは、
日本でいえば、源氏と平家の合戦の時代に、既に完成していた。
そうして、以後フィレンツエとの戦いに敗れ、
また寒冷化の1326年の飢饉と、1348年のペストの蔓延で、
おおきく衰退し、以降延々と内戦を繰り返し、
そしてようやく商業と農業の復興が見られたのは、
18世紀の末であったと、ガイドブックには記載されていた。

その間、じつに幾世紀にも及ぶ、
長い内向きな時を経てきたのだ。

  

――その原因かどうか知らないが、

町は標高320m位の丘の上から、
周囲は何処も、100m位谷へ下る、急な坂道に囲まれている。
それは見るからに、外敵を意識したような、直線の坂道で、
疲れた足では、滑り台のような、坂道に近づく事さえ、
ある恐怖心を感じてしまうのであった。

日本ならば、九十九折の坂道にするのだろうが、
この坂道をそのままに、
営々と千年以上、日々の暮らしに受け容れるという事も、
また半端な事ではない。
・・・そうして、日本だったらとか、それは、考えるまでもなく、
われわれの持っている無常観とかとは、また違った、
じつに厳しい、都市と歴史の立ち位置の現実が見えてくる・・・。

それが、シエナの町の第一印象なのであった。


美しい扇形のカンポ広場は、なかなか写真に納まらないので、
広場に腰掛けて、周囲を眺めながら、
中世から続くという競馬競技、「パリオ」の日を思い浮かべた。
シエナといえば「パリオ」といわれるくらい、
パリオはシエナが誇る、歴史的民族的祝祭なのだ。



それを、いつかBSTVで観た。
パリオは、毎年7月2日と8月16日の二度開催されるという。
この広場の周りの石畳がダートコースとなり、
1分ちょっとで、そこを三周する。
コントラーダというシエナの17の地区から選ばれた10地区が、
中世からずっと、「パリオ」で競いあっているのだ。
裸馬に跨る騎手たちは、あらゆる手段を駆使して、
お互いの走行を妨害しようとする・・・。

その刹那、広場の群集は異次元の熱狂と興奮に包まれる。
そうして、あっという間に、勝敗は決まり、
勝者には勝利のパリオ(図象のシルク布)が与えられるのだ。

近くの店先には、そのパリオの写真が飾ってある。
コントラーダの紋章も飾ってある・・・。


■世捨て人のイタリア散歩
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