www.yosutebito.com
世捨て人の熊野紀行 【2】 

  神倉神社へ登る


――なんだ、あれは。


熊野灘の夜明け。昇る朝日に、輝いているものがある。

――行って見よう。
それが、権現山の断崖にある神倉神社なのであった。
そしてすぐに、山の麓の神社に着いたのであるが、

鳥居の奥へと続く急な石段を見た途端に、

――あっ、こりゃダメだ。ヘナヘナと、

Uターンしかけていると、地元の方が黙々と石段を登ってゆく。

――なあに、やすみやすみ行けばいいのですよ。

その言葉を励みに、やっぱり登ろう。と思い直して、

歩き始めたが、振り返るとめまいがする様な急な石段で危ない。


Kami0370


そのあるがままのような石段は、

源頼朝が寄進したという言い伝えで、鎌倉積みと呼ばれているのだ。

そこを登る地元の方たちも、

しごく日常のあるがままという感じで、

毎朝この急な石段を登って、神社にお参りしているようで、

ちゃらちゃらとした自分も、そのなかの一人のように錯覚すると、

ようやく、すがすがしい朝の気分になっていったのであった。

Kami0464


さいわい、危なく急峻な石段は始めの方だけで、

途中からは、穏やかな参道となって、

神々の降臨したという巨岩・ゴトビキ岩へ辿り着くことが出来たのである。

――なんだ、教えてくれればいいのに。


Kami0569


熊野灘の朝日は、既に正面に昇り、

光は、このカエルの形をしたゴトビキ岩に降り注いでいた。

こうして、熊野三山を巡る旅はスタートしたのである。

Kami0783


――上はJR新宮駅に展示されている、

神倉神社の有名な「お燈祭り」の写真だ。

「お燈祭り」とは、26日夜。

白装束・荒縄で身を包んだ千人から二千人の男たちが松明を手に、

神倉神社の急峻な538段の石段を駆け降りるのだという。

奈良では春の到来を告げる東大寺二月堂の「お水取り」。

そして熊野では神倉神社のこの「お燈祭り」なのだ。

それは冬から春へ、死から生へと転換する、

生命再生の時の象徴でもある。

女人禁制のこの祭りの様を、街から眺めれば、

「山は火の滝、下り龍」となって、救急車も警備も待機して、

それはそれは、凄い事だと、街で会った人々は自慢していた。

熊野三山の神々が最初に降臨したという、「天磐盾(あめのいわたて)」。

そして神が鎮座する「磐座(いわくら)」=巨岩(ゴトビキ岩)。

それを祀る神倉神社の神宿る伝承を、祭りは、いまに伝えているのだ。

■世捨て人の熊野紀行
Copyright c 2001-2012 Nakayama. All rights reserved.