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世捨て人の熊野紀行 【3】

 朝の熊野速玉大社


・・・そうして、

熊野川が熊野灘へ流れ込む所の、熊野速玉大社を訪ねた。


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まず境内の八咫烏(ヤタガラス)神社に参詣し、

熊野参詣のシンボルともいえる、梛(ナギ)の巨木を眺め、

宮司さんの朝拝に従うように、

朝の速玉大社の本殿を参拝したのである。



境内のお掃除を済ませたおばさん達がいたので、

八咫烏(ヤタガラス)の牛王(ごおう)符を求めたいのだがと伝えると、

ちょうど、はいはい、お待たせいたしました。とお札の授与所の、

白いカーテンが、するすると開いたのである。

朝の境内は、

そういう、一日の始まりの、なんともいえない、清清しい空気に包まれていた。


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――境内の一角には「熊野御幸」の石碑があった。
・・・中世の宇多上皇の907年から、凡そ400年間。
140回におよぶ「熊野御幸」は、例えば白河天皇の御幸には、

総勢814人・傳馬185匹を従えた二十数日の旅であったという。

京から和泉・紀伊半島海岸沿いに南下して、

紀伊田辺から中辺路の山みちへ入り、

本宮から熊野川を下り、ここ速玉大社へ到り、

さらに那智・雲取・本宮と経由して、また来た路を戻ってゆく、

それは、いま考えただけでも、とんでもない難行苦行の旅なのである。

しかし、それほどまでして、

熊野詣にひとを駆り立てたものとは、いったい何なのであろうか。

そんな疑問に駆られて、

わたしも、ちゃらちゃらと熊野へやって来たのだ。


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