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世捨て人の熊野紀行 【17】 

  熊野本宮「大斎原」


時は移り変わって、祈りの姿はさまざまに変化しても、

人がいのちの根源にふと立ち返ろうとする場所として、「熊野三山」はあった。


それは熊野灘を望む、神倉山のゴトビキ岩の神倉神社と、
熊野川河口の新宮熊野速玉大社であり、

尽きることのない、那智大瀧の飛瀧神社と熊野那智大社であり、

そしてゆきつくところ、
熊野川中州「大斎原」の熊野本宮大社であった。


熊野本宮大社は、かつては音無川・熊野川・岩田川に囲まれた、

「大斎原(おおゆのはら)」と呼ばれる中州であったのだという。

しかし、明治の大洪水により川は氾濫して、

本宮大社は現在の地へ移転を余儀なくされたのである。


それはあたかも、

西欧化・近代化を急ぐ、明治政府の無謀な政策に大自然があらがう如くにと、

そんな印象を個人的には感じてしまうが、

本宮大社の移転で、「大斎原」は、いまは河原の静かな森へと帰った。


しかし、いまも「大斎原」は、

いにしえからの生命再生の聖地であることに変わりはない。


母なる大地の、
まったく「子宮」のカタチをした「大斎原」へ、川で禊をしてから入る。

それは生命再生の象徴の場所として、移すことの出来ない聖地なのである。


■世捨て人の熊野紀行
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