これは、伏見稲荷参道の土産物店のウインドウに飾られた「招き猫」なのだ。
目にした瞬間、見慣れないその容姿に引かれてデジカメで写した。
・・・なんだか怪しげな猫ではないか。
「伏見土人形」と呼ばれるモノだが、
世間でよく見かける、ぶくぶくの「招き猫」とはあきらかに違う。
いったい何処が違うのであろうか。
まず耳の角度がリアルに緊張している。
ポツンと描かれた瞳の様子からも怯えた様な緊張感が漂う。
そして鮮やかな衣装の色彩である。
おでこと鼻の頭が汚れているのは、狐が猫に化けている明かしであろうか。
・・・・・・・。
そんなことを思いながら、ネットで調べると、
「招き猫」の由来について書かれたページがたくさんあった。
ネットは出所が同じと見えて、どれもこれもワンパターンの記事も多いが、
「伏見土人形」が「招き猫」のルーツであるという事を知って、
「なるほど」と納得がいった。
日本列島に拡がる「稲荷信仰」の元となった伏見稲荷。
半島から渡来した「秦」一族が、ここに「伊奈利社」を祀り、
その「塚」、稲荷山の古墳が、「山の神」として信仰されてゆく。
稲荷は元来「イネナリ」であり、穀物の収穫を「再生」への象徴とした。
そして山から人里へ現れる狐は、
この墳墓の辺をうろうろしていて(狐塚)、神の使いとされたのだ。
(注★)
いっぽう、半島から養蚕を伝えた秦氏は、
蚕を食い尽くすネズミを退治する、猫を有難がったことであろう。
古来エジプトでは、神の使いとされた猫は、
ペルシャ・中国と伝って、仏教伝来と共に日本列島へも来たのだという。
そう考えると、伏見稲荷で見かけた奇妙な「招き猫」ひとつからも、
この土地で暮す人々の膨大な時間の記憶が潜んでいる事を知る。
古来稲作と共に伝えられた「再生」への祷りと、
あらたに半島より伝えられた技術の伝播。
これが、「狐」が「猫」にも化ける意匠に秘められた意味なのであろうか。
そして、衣装のあかるい鮮やかな色彩の記憶。
「群青」「朱」「黄」「萌黄」それは朝鮮半島の伝統色にも見られる色彩だ。
注★=この項に関して、
大和岩雄著「日本にあった朝鮮王国」白水社刊=P198
大和岩雄著「秦氏の研究」大和書房刊=P289 ・・・などを参照。
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