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増毛で「最北の酒蔵」へ立ち寄る。

増毛(ましけ)のイメージは、
昔観た、映画『駅STATION』=降旗康男監督(1981)の、
雪に埋もれた居酒屋で、
八代亜紀の「舟歌」が背景に流れる、そのシーンが忘れられない。

  ♪お酒はぬるめの 燗がいい
  ♪肴はあぶった イカでいい
  ♪女は無口な ひとがいい
  ♪灯りはぼんやり ともりゃいい
    ・・・・・・・

舞台となった駅前の「風待食堂」。
その前を自転車の方が通り過ぎる。
軍手に頬かむり、そして長靴。
これが海からの風の中で暮らす日本海沿岸スタイルだ。

5月も半ばだというのに、
海からの風は、やはりつめたい。



人影も無い駅の、そのむこうには線路も無いから、つい、
――ここも、廃線になったのだね。
なんてつぶやきながら、自販機で水を買っていると、
偶然通りかかった旅の方が、
――廃線じゃないですよ。ほら「電車」着ていますよ。
と早とちりを笑われた。
――ああ勘違い、失礼致しました。ここは留萌本線の終着駅でしたね。

ホーム側へ廻ると、
たしかに、ずっと手前にディーゼル音を響かせて電車は停車していた。




小高い丘の、増毛灯台を背景に停車しているのは、
15:48発「深川行」だ。

――発車まで、まだ1時間もあるじゃないか。喫茶店でもないかなあ。

そう言い残して旅の方は、何処かへ消えていった。



こうして、ゆきあたりバッタリの旅は、
けっこう、恥もかくものなのです。
・・・・・・・・・・・・・。



やれやれと、赤信号で停止していると
猫がゆっくりと横断してゆく、そのむこうに、
最北の酒蔵「国稀酒造」は見えてきたのです。


■最北の酒蔵「国稀酒造」にて



ここは、くにまれ。と玄関先で確認して、
――ごめんください。・・・あれ、留守かなあ。
応答が無いので、ごめんくださ〜い。
と引き戸を開けて、なんだ、勝手に入っていいのだ。
酒造所だから奥行きが深いのだ。
――お邪魔しま〜す。
――は〜い。どうぞどうぞ。
オフシーズンの平日の昼下がりは、
ちょうど見学者も途切れていたので、こういう感じだ。



玄関フロントには、
「丸一本間合名会社」と由来の暖簾とともに、
「杉玉」がまだ緑を残している。

   【話はヨコ道だけど・・・】
   その年の新酒の仕込が終わると、
   蔵元では、こうして杉の葉を球状に束ねて、
   酒の神様に捧げたのだという。
   杉玉が枯れて茶色くなると、酒の熟成をも顕わす事から
   江戸時代には、こうして「杉玉」は、
   蔵元の看板サインとして全国に広まったのだ。
      
   そのルーツは中国にあると言われるが、
   わが国では、大陸または朝鮮半島からの帰化人ハダ一族、
   秦酒公(はだのさけのきみ)まで遡り、
   酒の神を祀る大和三輪明神や京都松尾大社(松尾様)が、
   いまでもこうして酒の神様として信仰を集めているのだ。
      
   ついでに言えば、中国古来より、
   不老長寿の象徴として「酒」とか「亀」は重宝がられた訳で、
   だからその酒の仕込み水も「亀の井」として珍重されたのだ。
   「亀井」さんとかいうのも此処から来ているのだろうが、
   いまでも奈良の明日香村へゆけば、
   伝説の「亀石」とか、「酒船石」とかが、ごろごろしている。
   このように酒を知れば、石の由来もわかる。

それはさておき、
――「これやがな」と、
こうして酒の神様(杉玉)に一礼すると、
何故かこころが和むものだ。



その「杉玉」の伝承も、酒の伝承と共に歴史ルートに沿って、
京より瀬戸内から長崎へ、
そして北前船で佐渡から酒田・津軽十三を経て、
蝦夷地松前へと航路が開けていった。
そして近代となり、さらに小樽を経て、
「最北の酒蔵」の、ここ増毛まで辿り着いたのだ。

国稀酒造さんの売店を見ると、
――「これやがな」と、
去年秋、日本酒の聖地・奈良の、
今井町でお邪魔した、
「生諸白」の、金賞受賞の「出世男」の、
河井酒造さんの店のつくりも思い出して、妙に懐かしい・・・。



・・・ついでに、これは今井町の、その河合酒造さんの写真。

――ここは台所だった場所を、いまは「売店」にしているのです。
――はい、よく判ります。
――以前は土間を渡る、引き出し式の床が、こうなっておりました。



なんていう家庭の事情まで、親切に説明してくれるものだから。
妙にリアルで、親近感を感じてしまうのも、いいではないか。

その売店の、つまり台所の反対側の、火鉢を囲む部屋が次の写真。



真ん中に、デンとおおきい酒桶と、ホンモノの鮭の燻製2本が吊るされている。
酒と鮭と、うさちゃんのぬいぐるみとか、煎餅座布団とかも、
いかにも使い込まれた感じで、
なかなかいい味出しているのも、いいではないか。



それはさておき、
ボチボチ、酒造りの現場へ、しずかにお邪魔しようではありませんか。
そして、まず足を踏み入れたのは、
酒蔵を改造した、「国稀」の歴史資料室。
ここには酒瓶や小道具、各種販促グッツの御猪口からマッチまで、
多彩なアイテムで、国稀127年の歴史を辿れるのも、いいではないか。




――この、ビッグなボトルを見てくれ。これこそ「國の誉」だ。
むかし国稀は銘酒「國の誉」であった。

――日露戦争の激戦二百三高地は、
寒冷地に強いという事で徴集された、
地元旭川の第七師団、そして盛岡の八師団に多大の犠牲者を出した。
その慰霊碑の碑文の揮毫(きごう)依頼の為に、
乃木大将に面会した国稀創業者本間泰蔵は、
乃木の人となりにおおきな感銘を受ける。
そして乃木希典から一字をもらい、
「希」そのままではいかにも畏れ多く、
のぎヘンを付けて「国稀」としたのだ。

・・・そうか、そうだったのか。
その由来が「国稀かわら版」(平成15年)にも出ていた。

   【それでまた話はヨコ道だけれど・・・】
   ――余談ながら、ついでに謂えば、
   世界初の近代兵器戦といわれる、
   この日露戦争の軍事費は凡そ20億円であった。
   当時の国家予算は3億円にしか満たない。
   しかも当時の税収は2億円だ。
   
   高橋是清の海外公債発行が8億円。
   そして明治末の近代日本は、
   20億円近い借金を欧米に背負い込む事となる。
   その国家予算6年分の負債を抱えて、
   総ては、「国益の優先」=「愛国心」というひと言のもとに、
   時代は突き進んでゆく。
   その後の推移は、誰もが知っているはずだ。
      
   さらに唖然とする事に、
   税収2億円の内TOPの40%近くが「酒税」であった。
   しかし、いくら飲んでも騒いでも、
   酒では連合艦隊は買えないのだ。
   TVドラマとかは、そういう前提が欠落している事が多すぎる。
   明治のこの増税策は、その後幾たびと変遷するが、
   基本的なところは変わらず、
   昭和末の酒税法の改正まで続くこととなる。
   これが近代ニッポンの、「酒」が背負った現実なのだ。
   酒の販売に鑑札が必要だった訳もこれで判るが、
   この時同時に決められた、「飲食税」も、
   消費税の導入まで続いたのだ。



それはさておき、
これが、国稀の仕込み水。
暑寒別岳からの伏流水だ。
――暑寒別とは。その山はいったい暑いのか寒いのか。
まるで判らないのだが、その湧き水は、
秀逸な酒からも想像していたイメージそのままに、
暑くもなく寒くもない。暑寒別なカドのとれた、
じつにまろやかな名水となっているのであった。



――そうして、図に示されたとおり、
ひとつひとつの工程を分かり易く、
しかも丁寧に説明して頂いたのです。



――いまでは日本酒もその技術の進歩はめざましく、
さまざまな顔の酒が実に多種多様に出揃っている。
しかし、暮らしの中で、
そういう旨い酒を味わう、場所とか時間のゆとりは、
むしろ遠のいている様な気がしてならない。

いずれにしても、スピードや効率の追求は、
酒にとっては、天敵のように思えてならないのだ。



――きょうの宿泊地は、
オロロンラインを北上した羽幌までゆかなくてはならない。
残念ながら、目と鼻だけの利き酒だ。
それで、数あるボトルの中から、基本の「国稀」を選び、
また、日々鬼嫁さまのマッチポンプとも思える脅威に脅える中高年に、
抜群の人気(じょうだん)の「北海鬼ごろし」をけっこう買い求め、
温泉に浸かり、おいしい日本海の海の幸、甘海老を食べてから、
「国稀かわら版」とか読みながら、改めて「国稀」と向き合ったのだ。



――国稀スタッフのご親切、ほんとうに有難うございました

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