Le
Rayon vert =ERIC ROHMER (1986)
“ああ 心という心の燃えるときよ来い” ---ランボー
エリック・ロメール監督の『緑の光線』は、わたしの好きな作品。
・・・恋人と別れたデルフィーヌは、
ヴァカンスを一緒に過ごす相手もなく、孤独感に苛まれている。
友だちのフランソワーズの誘いで彼女の実家を訪ねたり、旧知を訪ねたりしますが、
ますます閉ざされてゆく自分のこころを、重苦しく抱え込んでしまっている。
・・・その後、避暑地ピアリッツの海岸で、ふとしたきっかけで、
ジュール・ヴェルヌの『緑の光線』の話を小耳に挟むのです。
――太陽が沈みきってしまうその瞬間、
残光が一瞬、緑に輝くことが稀にあるそうです。
フランスではそれを「ル・レヨン・ヴェール」と呼びます。
そんな話をモチーフに、
エリック・ロメール監督の『緑の光線』は、
ごくごく普通の、日常の中にキャメラを持ち込み、
映画に仕立てた作品なのです。
映画の中に、映画のための風景やドラマがあるのではなく、
あくまでも日常の、光や風のそよぎの中で、
ドラマが生れるような、生れないような・・・そんな光景の中を彷徨います。
それは「緑の光線」を見出すような、奇跡の瞬間へのアプローチなのです。
そして作品を鑑賞する者も、やがて主人公とおなじ呼吸に引き込まれてゆきます。
――何時かは見てみたい「緑の光線」。
20年も前に、この作品を観た時から、そんな思いが、こころの奥に宿るようになったのです。
そして先日偶然に、その「緑の光線」を見ることが出来たのです。
関空から千歳へ向う便の、津軽海峡上空辺りで。
その時、
澄み渡った水平線に沈もうとしている夕陽があまりにも美しいので、
バッグの中のカメラを取り出そうかと思いましたが、
草臥れて岩のようにシートに沈んだカラダには、それも億劫で、
「緑の光線」の話とかを思い出しながら、夕陽をぼんやりと眺めていました。
――もしかしたら、「緑の光線」が見えるかもしれない。
――やはり、カメラを取り出そうか。
――いや、やはり面倒だ。
そんな感じで、窓の外の雲海を眺めているうちに、
夕陽は水平線の彼方に消えてゆきました。
――やっぱり、「緑の光線」なんて見えはしない。
と思った、その瞬間。
日没の彼方の空に、「パッ」と緑色の光が走ったのです。
おもわず、「ゥエイ」?と映画の主人公デルフィーヌになったつもりで、
声をあげてしまいました。
それは、グリーンフラッシュと言われるように、
限られた気象条件の下で、ごく稀に、
まさに夕陽の沈みきった直後のほんの一瞬に出現すると言われています。
――緑の光線を見ると自分と他人の感情が分かるそうです。
――そのとおり。
――緑の光線を見ると人の心が読めるのよ!
映画の中のそんな会話が急に甦りました。
確かに見たよな。緑の光線!
密かに興奮して家へ辿り着くと、
さっそくDVDで確認するように、
『緑の光線』のラストシーンをチェックしてみました。
映画には、はっきりと緑色の沈む夕陽が映っておりました。
・・・でも、なんだか違う。
20年も前に、レーザーディスクで観た時は、
何だかよく分からなくて、「オレにはちっとも見えなかった」と戸惑って、
ラストシーンを何度も繰り返して観たので、
一時は、すっかりこの映画の虜になってしまいました。
そして・・・やがて、これを言うのだろうな。
と、ラストシーンの、ぱっと光るような、気のせいのような映像に納得したのでした。
でも、何時かは見てみたい「緑の光線」。・・・そういう思いだったのです。
自分の思い違いかと思って、改めてDVDの解説書を読むと、
やはりそれは後から、判りやすく付け加えられたものであることが分かりました。
いや、海岸ではこういう風に見える瞬間もあるのでしょう。
でも、実際の「緑の光線」を見てしまえば、
みんなが、DVDを見て、幸せな気分になれば、
それはそれで、いいのではないかという感じです。
「緑の光線」を知ったのも、エリック・ロメールのこの映画を観たからなのですから。
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