「明治は遠くなりにけり」

なんて聞いたことがあるが、
この島国日本の背景に潜む、時代閉塞の情況とは何か。
今日も、激動の「明治」は、また多くを問いかけているのだ。

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【メモ】 関 寛斎の生きた時代と「明治の税制」(5-5)

「明治」の急激な近代化の帰結としての日露戦争とその時代背景。


●日露戦争1904年2月10日〜1905年9月。
 1895年の日清戦争終結に伴う下関条約と三国干渉(露・独・仏)
 による遼東半島返還と「臥薪嘗胆」という10年間。

●日露戦争 戦費。
 軍事費17億4600万円。プラス2億3800万円。合計19億8400万円。
 当時の税収2億円。高橋是清の海外公債発行8億円。
 結果、20億円近い借金を背負うが、これは国家予算6年分以上にあたる。
 現代の貨幣価値を当時の凡そ10000分の一とすると25円=25万。
 当時の国家予算を今(2000年)に直すと3兆円。
 明治政府は欧州ロスチャイルド系に借金20兆円を背負ったのだ。


今日(2000年当時)の国家予算81兆円。
 内30兆円を国債。支出の21%は借金返済。

  国債発行高はGDP国民総生産の120%の364兆円。
 銀行の不良債権30兆円が一年で40兆円。

人口

国家予算

負債・国債発行

不良債権

消費物価指数

1905年

4000万人

3億円

20億円

0.569

2002年

12000万人

81兆円

364兆円

40兆円

1833.2


税収の2億円の内訳。
 はどうかというと、その40%近くが「酒税」であった。

  
「飲め」「飲め」といくら飲んだところで、「連合艦隊」は買えない・・・。
  増えるのは借金ばかりだ。

  
  ・・・明治のこの増税策はその後、幾たびと変遷するが、
 基本的なところは変わらず、昭和末の酒税法の改正まで続くことになる。
 酒の販売に鑑札が必要な訳が判る。
 また、この時に同時に決められた、「飲食税」も、消費税の導入まで続いた。

日露戦争は世界初の近代兵器戦といわれている。
 経費が大変嵩む。
アメリカに調停を頼み、戦争は終結される。
 
アジアの小さな島国が西欧の巨大な国家に勝ったのだから、
 世界の驚きとなるが、以後ニッポンはアジアの「盟主」という立場と、
 その負債をめぐって、ひたすら植民地主義に突き進む訳だ。
 

 国が多くの借金を背負うと、すべてが、
 「国益の優先」「愛国心」と云う一言に集約されてゆく。


 「二十万将兵の血・十万の英霊と二十億の国費の結晶」

 という言葉の下に、以後在満権益に突き進む。

 日露戦争の実際の負傷者の数は143000人・死者84000人と云われるが、
 その内伝染病「発疹チフス」「脚気」による死者が半数以上だという。

●「国益の優先」
・・・明治元年以来、
日本人は木戸孝允(たかよし)の「人民」。

福沢諭吉の「国民」。
帝国憲法のもと「臣民」となり「一億玉砕」へと突き進む訳だが、

実際それは気持ちの問題でして、
全く道理に適っていないわけです。


「理」にかなうことよりも、
「気持ち」を重要視することで「矛盾」を乗り切る方法は、
 近代の欧化政策の上で大変重要なポイントだ。

●急激な変化はいちいち理論的な構築とコンセンサスの暇を与えない。
「義理」と「恥」とを専らとし「忠義」に尽くすべし。

 この儒教精神は、今日に至るまでニポンの「組織」に有効に機能している。

 多くの組織に帰属する場では「本音と建前」の分裂をはらみ、
 モラルハサードの欠落を生みました。「皆でやれば怖くない」という訳だ。


●過ぎた事を省みれば、
カンベンしてくれよ。なんて言いいたくなるが、
このような、詭弁がまかり通るのも何時の世も現実なのであろう。
かの高名なドラッカー先生にして、
今日のアメリカのバブル崩壊とグローバリゼーションの、
パラダイムシフトの転換をうけて、印象的な事を言っている。

  『あらゆる組織が、遅かれ早かれ遭遇することになる全体の危機に際しては、
   組織の運命は明快な命令の有無によって決まる。
   船が沈没しかけているときに、船長は会議を開かない。命令する。
   P・F・ドラッカー『明日を支配するもの』1999ダイヤモンド社刊12頁。

・・・などと、アタリマエの事でも、
ドラッカー先生が言えば、妙に納得するが、
沈むものは、沈んでゆくしかないから、
船長は、「速く逃げろ」としか言いようがないだろうに。


●明治の二つの戦争「日清戦争・日露戦争」このどちらの戦いも、
 忘れてはいけない事は、中国やロシアで在った訳では在りません。
 其の主戦場はいずれも朝鮮半島だ。
 明治以後、我国は
70年以上に亘り朝鮮を戦場にまた植民地として、
 支配し続けて来たのです。
 ・・・
1907年日露協約・1910年日韓併合。
●当時の貨幣価値は今の凡そ10000分の一。
 例えば石川啄木の当時の月給25円。

 当時の国家予算を今に直すと、3兆円。借金20兆円。
 国民3000万人として一人当り30万円。借金200万円。
 その結果起きた事は、

 1914年から1920年インフレ250%
翻って、現在(2002)国民12000万人。
 として一人当り67.5万円。借金270万円。

 言うまでもなく、
 日露戦争の終結時と国家財政は大変似ているわけです。

 なお今日の国家予算は81兆円のうち30兆円を国債という名の借金でまかない、
 支出の21%は借金返済で、国債発行高はGDP国民総生産の120%の364兆円です。

 銀行の不良債権。30兆円が一年で40兆円に迫っております。(2002年8月)


近代日本における、インフレとデフレの波。

● 近代以降のインフレとデフレのながれ。
・・・何故急変は5年タームの波があるのか?

1878西南戦争後インフレ→1882年 松方正義のデフレ。【5年】
■第一次世界大戦後インフレ1915年 250% 
 1920一気に反転デフレ→井上準之助のデフレ。【5年】

■関東大震災1923と不良債権処理・1927年 金融恐慌【4年】
 1929世界恐慌→第二次世界大戦へ。【5年】

■戦後のインフレ1945→1949【4年】
■ドッジライン1$360円→1972〜【5年】
■バブル【5年】
■インフレ→平成デフレ。
・・・・

●・・・明治は遠くなりにけり。
なんて聞いたことがあるが、
日本の背景に潜む、島国の、時代閉塞の情況とは何か。
今日も、激動の「明治」は、また多くを問いかけているのだ。


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