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スペイサイドの田舎町のパブで・・・

  男達が自慢した「ブラバー」の正体。


■美しいパゴダのある風景でおなじみのストラスアイラ蒸溜所。
「ストラスアイラ」は、シーグラム社シーバスリーガルの原酒としても名高い。

・・・ここはキース(Keith)の町。
街道沿いのB&Bに宿泊を決めたのだが、食事をする店が見当たらない。
仕方なく近くの宿屋の食堂で、「フィシュ・アンド・チップス」の夕食を取った。
レストランは無くても、パブはちゃんとあるのがスコットランド。
日が暮れると、何処からともなく男達がやってきて、盛り上がっている。

突然の闖入者に、男たちが話しかけてきた。
「日本人よブラバーを知っているだろ」
はじめは、何をブラボー・ブラボーと叫んでいるのか、チンプンカンプンだった。
「ブラバー」が、あの長崎の、グラバー邸の「グラバー」と判るまでには、
10分以上かかったのだ。
男達は150年も前に日本へ渡った、
地元アバディーン出身の「グラバー」のことを、
誇りをもってわたし達に伝えたかったのだ。
その「グラバー」こそ、
日本の近代化にさまざまな「西欧」を伝えたスコットランド人なのだ。

■トーマス・ブレーク・グラバー(Thomas Blake Glover, 1838 - 1911)
アバディーン出身の商人。
スコットランド系フリーメイソン。
1859年開港まもない長崎へ来る。
やがてグラバー商会を設立。お茶・生糸などの貿易業を営む。

幕末の混乱期、長州・薩摩の討幕派を支援し、
武器・弾薬を調達し巨額の富を得る。

■1863年伊藤博文・井上馨らの長州藩士5名(Chosyu Five)のロンドン密航。
翌1864年薩摩藩英国留学生の密航のお膳立てをした。
そして、これらの密航者が柱となって「明治」の近代化は推進される。

しかし世が「明治」となると、武器は売れなくなり、
債権の回収もできなくなったグラバー商会は、明治3年破産する。
それでも、以降は蒸気機関車の試走、ドック建設、高島炭鉱開発などで、
日本の近代化に貢献をする。
その縁で、三菱財閥の相談役として、麒麟麦酒の基礎も築いた。

文明開化の日本の神戸で、
わが国初めてのビール工場を造り、最初のゴルフ倶楽部を創った人。
それもグラバーなのだ。

・・・それにしても、グラバーを廻って、
「人」と「カネ」が激しく行き交ったのも明治維新であった。

グラバー商会の10年。
あっという間に、巨額の富を手にしたグラバーは、
あっという間に巨額の負債を抱えた。

その「カネ」は、
いったい何処から湧き出て、
何処に消えていったのだろうか。
歴史の背景で、話の興味は尽きない・・・。

■これらの事を知るきっかけとなった本は、
犬塚孝明著「薩摩藩英国留学生」(中公新書1974刊)だ。

ついでに言えば、この本のなかで、もっとも印象深いのは、
留学生中最年少の「長沢鼎」こと磯永彦輔だ。
当時密航は「死罪」であったので、皆変名を使った。

13歳の長沢少年は、アバディーンのグラバー家に留まる。
そして後に、トーマス・レイク・ハリスの共同体に参加し渡米する。

1875年共同体はカリフォルニアに移り、
長沢はワイナリー開拓に着手する。
やがてハリスの後を継いだ彼は、
「グレープ・キング」として成功するのだ。
そしてカリフォルニアワインの聖地、
ソノマバレー開拓のパイオニアとなるのだった。



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