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音威子府「砂澤ビッキ記念館」にて

「INAI INAI BAR」というBARがあった。

――ようやく訪ねる事の出来た、
彫刻家「砂澤ビッキ記念館」の玄関を入ると、
いきなりBARが現われた。
それはまさに、「いないいないばぁ」という名にふさわしく、
不意打ちに似て、突然現われたのであった。


――あれ、なんでここがBARなんですか。

1967年。砂澤ビッキは、
ススキノニューオリンピアビル地下のBAR「INAI INAI BAR」の
店内装飾を手がけたという。
しかし、伝説のそのBARは、その後火災にあってしまう。



――それから、二転三転して、
いま、ここ音威子府村の砂澤ビッキ記念館に、
伝説のBARは、そのまま再現されていたのだ。

壁・棚・カウンターの置物からマッチに至るまで、
すべてはビッキがデザインして彫りおこしたそれは、
ビッキさんの青春の、アートの結晶なのだ。

春の光が窓から射し込む、朝の「INAI INAI BAR」で、
さっそくシングルモルトを一杯と、
いいたいところであるのだが、いまはクルマでの道中。
しょうがなく、モーニングコーヒーを一杯。

――タバコ吸っていいんですか。
――どうぞどうぞ。愛煙家のビッキにとって、「禁煙」なんてありえない。
――いいこというなあ。訪ねてきて、ほんとうによかったです。

そうして、ロングピースを吸いながら、
ビッキ制作の、ひとつひとつのアイテムを手にとれば、
その重さとともに、ビッキさんの思いすらも、
伝ってくるような気がするのだ。

――どうぞ、ミュージアムのほうもご覧になってください。
――あっ、そうだよな。ここは、ミュージアムなんだよな。忘れていました。



「INAI INAI BAR」は、
JR宗谷本線「筬島」(おさしま)駅前にある。


JR筬島駅に立つと正面に見える、
廃校となった旧筬島小学校の、教室のひとつが、
「INAI INAI BAR」なのである。

――それでは、
彫刻家「砂澤ビッキ記念館」のはなしをしようと思う。



・・・しかし、いきなり目にした看板の、
このウインクをする人魚姫は、
記憶の何処かで見覚えがある。

何処で見たのか、思い出せなかったが、
こうしてブログを記していたら、思い出した。
・・・そうだ、「ダッコちゃん」人形だ。
そしてそれは目元・口元をちょっと変えるだけで、
じゅうぶん厚化粧で香水ぷんぷんに変身する。
だから人魚姫か。

・・・そういう事を、
瞬時に閃いてカタチにするから芸術家なのだろうな。


まるで樹木の胎内巡りのような木質で包み込まれた、
砂澤ビッキ記念館の「アトリエ3モア」へ立ち入ると、
小学校の廊下は「風の回廊」となっていて、
ビッキの愛した森の中で収録された「風」の音が聞こえてくる。


阿寒のアイヌコタンから鎌倉へ、
そして旭川・札幌・カナダへとさすらった芸術家の魂が、
雪解け水を湛えてとうとうと流れる天塩川の山の中、
ここ音威子府村筬島の森で終焉を迎えたのは1989年。
まだ壮年といえる57歳であった。

ここアトリエ3モアは、
「風の回廊」
「トーテムポールの木霊」
「アトリエ:午前3時の部屋」
「樹気との対話」
と砂澤ビッキの遺された作品と共に廻りながら、
ビッキさんの魂と出会う場所なのだ。
それは、パンフレットにも記されているように、

  ――「見えるものだけを見る」のではなく「見よう」とする心に、
     何かを気づかせてくれる場所でもある。


ただ木を彫り起こすだけでは、
足りない。
その樹木の生涯をかけて沁み込ませた、
風の記憶までも彫り起こして、
ようやくモノに息吹は蘇える。

そんな事を、わたしは勝手に思いながら、
ビッキの作品を眺めていた。

そう思うと、人も木と同じ様に、
風を孕んで生きている事に気付く。

海に生きる男は、海の風を孕んで。
山に生きる男は、山の風を孕んで。
そして年輪に似た皺を眉間に刻み込む。
それを風貌という。


・・・そうしてわたしは、
ビッキの作品の中に、
いつか京都の河井寛次郎記念館で見た、
力強い陶芸のカタチに相通じるものを感じて、
なんだかとてもうれしいような懐かしいような気持ちになっていた。


■京都河井寛次郎記念館にて

――展示された年譜とかをよく見たら、
1959年北海道に戻った28歳の砂澤ビッキは、
「阿寒湖畔で、浜田庄司、河井寛次郎らと逢う。」とあった。

やっぱりなあ。
そうして、わたしのなかで、彫刻家砂澤ビッキの作品は、
河井寛次郎・浜田庄司・・・・砂澤ビッキ・・・と、
夜空に瞬く星座のように、ふたたび輝き始めるのであった。

■北海道から
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