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春浅きトスカーナの丘で

ここはトスカーナの丘。
カステロビッキオマッジョからの眺めです。
あたり一面まだ枯野のワイン畑の丘で、
一本の木が春の到来を告げていました。

その花を眺めながら、
わたしは、どういうわけか、
昔見た吉野の風景を重ね合わせていました。
そして吉野に、「桜の苗木を植えた長樂翁の話」を思い起していたのです。
この話の出所は、保田與重郎『現代畸人傳』(新潮社版206頁〜)です。

吉野の山は1300年も前から、桜の名所でありつづけています。
最近は又、温暖化などもあり、山が荒れ、
吉野の桜も、このままでは10年と持たない、という報告もありますが、
明治の初めも、じつは明治政府の「廃仏毀釈」運動で、
山を寺社から取り上げたものですから、
「吉野の山」は、荒れ放題だったといいます。

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そのとき、吉野に住む翁は、残りの生涯をかけて、

吉野に、桜や楓の苗木を、植えつづけたといいます。
ところが、その苗木の半ばは、観光客が持帰ってしまいます。
それでも翁は、そんなことに頓着無く苗木を植えつづけたそうです。

いま在る、中千本の桜は、
おおかた、翁が植えたものと言われております。
ところが、あるときから、翁は、
吉野には「鶯」がいない、と思っていたそうです。
それを、とても残念に思い、
数十の鶯のつがいを、長野から取り寄せ、山中に放ったそうです。

しかし翌年も、春になると、「鶯」の鳴き声は、聞こえなかった。
そこで、翁は鶯のえさとなる、虫を、まず山に移さねばダメだと思い、
鶯のえさを、集める事から、また始めたそうです。
 
――しかし、実際のところは、吉野の山では、「鶯」が、囀っていたのだそうです。

翁は、ほとんど、耳が聞こえなかった、というのです。
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わたしは一体何が言いたいのか。
日本人には、かくも純粋な「血」が、流れているのだなあという感慨です。

わたしたちが、今日享受する美意識の背景には、
かならずこのように、風土に純粋培養された感覚がひっそりと息付いているのです。


――さあ、ぼちぼち行くとしますか。
――こんどは、実りの季節に、いま一度訪ねて見たいですね。
そう言って、カステロビッキオマッジョを後にしました。

■世捨て人のイタリア散歩
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