クリスマスが近づくと、
12月のパリの光景が思い出される・・・。
寒い朝には、モノトーンの霧におおわれた街に、 街灯がぼんやりと灯っていて、 もともと控えめな車のヘッドライトも、 いちだんと控えめに見える。
街角をひと塊のにぎわいが通り過ぎてゆく。 何かと思うと、それは暗い中を通学する子供たちなのだ。 そうだパリの12月は、朝9時を過ぎても、まだ薄暗いのだ。 そうして朝寝坊して、カフェで昼食後のコーヒーを飲み終えると、
もう日は暮れはじめる。
なんだか、暗い話だけれど、 実際はほとんど、光に包まれているようで、 気持ちもしらずと、光から光へ彷徨い始める。 それで行き当たりバッタリに、街角の教会などへゆくと、 この頃はかならず何処かで、クリスマスのコンサートが開かれていて、 教会で聴く宗教音楽は、またほんとうに、 気持ちが、音楽と一体化するのでした。
キリスト生誕の特別な日、聖夜。 ニッポンでは、街のイルミネーションや、 家庭の団欒でクリスマスケーキを囲んだり、 クリスマスといえば贈り物だけれど・・・、
・・・人はだれでも、いつも心の何処かで、 なにか、いい事が起きますようにと願っているのであろう。 そう思えば、気づかなかったいい事も、 じつは、たくさん起きていることに気づいたりする。 それが、聖書にいう「恩寵」(おんちょう=GRACE)なのであろう。
・・・ヨーロッパの街角の光景を思い出しながら、 ふと、子供たちへのクリスマスの贈り物の意味を思い浮かべたりした。 何のお返しも求めない、神からの無償の贈り物「恩寵」。 ゆえに、サンタクロースという架空の存在が必要だったのだ。
今更の様に、そんな事をおもいだして納得しているが、 すでに、子供は親離れして、 若者同士、それぞれのクリスマスを楽しんでいるのであろう。
・・・ヨーロッパでは、古くから、 クリスマスにグリーティングカードを贈るのだという。 写真は、ヴィクトリア朝時代のクリスマスカード。 ヴィクトリア女王の時代のコレクションで著名な方からお借りした。
まるでレースそのものの様に、 細部まで極めて精巧に出来ている手仕事には驚かされる。
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